はじめに ── 「実はガラスって液体らしいよ」という話、聞いたことありませんか?
学校の理科の授業で、あるいは飲み会のちょっとした豆知識として、こんな話を耳にしたことはないでしょうか。
「ガラスって、実は超ゆっくり流れている液体なんだってよ」
「中世のヨーロッパの大聖堂のガラス窓が下の方だけ分厚いのは、何百年もかけてガラスが少しずつ流れ落ちたからなんだって」
なんだか科学的で、少し信じてしまいそうな話ですよね。でも待ってください。これは本当なのでしょうか?
実は、この「ガラス液体説」は半分正しくて、半分は都市伝説です。そしてその「半分の真実」の部分こそが、物理学・化学の世界でも長年議論されてきた、とても深いテーマにつながっています。
この記事では、「ガラスって固体?液体?」という素朴な疑問を出発点に、固体と液体の定義そのものを問い直し、さらには「曖昧な状態」を持つ物質たちを紹介しながら、世界の奥深さをいっしょに探っていきたいと思います。
長い記事になりますが、読み終えたとき、きっと日常の「当たり前」がちょっと違って見えるはずです。
第1章 ── ガラスって固体?液体? そもそも何なの?
1-1. 一見「固体」に見えるガラス
まず、私たちが日常的に使っている「ガラス」を思い浮かべてみましょう。コップ、窓、スマートフォンの画面。どれも硬くて、形が決まっていて、落とすと割れます。どう見ても固体のように思えます。
では、ガラスは固体で確定? かというと、話はそう単純ではありません。
1-2. 科学者たちが頭を悩ませてきた理由
ガラスの構造を原子レベルで見ると、一般的な固体とは大きく異なります。
食塩(塩化ナトリウム)や水晶(クォーツ)などの「結晶性固体」では、原子が整然と規則正しく並んでいます。まるで行儀よく整列した兵士のように、原子がきれいなパターンを形成しています。
ところがガラスの内部では、原子がぐちゃぐちゃに、ランダムに並んでいます。規則性がなく、まるで液体の中の原子配置のようです。
ウィスコンシン大学マディソン校の化学教授、マーク・エディガー氏は次のように述べています。「固体と液体の違いは、原子の秩序にある。塩や砂糖のような結晶では、何百万もの原子がきれいに整列している。液体とガラスにはその秩序がない」と。
つまり、ガラスは「硬さや形は固体、でも内部の原子の並び方は液体に近い」という、非常に中途半端な存在なのです。
1-3. 「アモルファス固体」という答え
科学者たちはこの問題に対してひとつの答えを出しました。ガラスは「アモルファス固体(非晶質固体)」であるというものです。
「アモルファス(amorphous)」とはギリシャ語で「形のない」という意味。つまりアモルファス固体とは、「固体のように硬くて形を保つが、原子の配列に長距離的な秩序(規則的なパターン)がない物質」のことです。
ガラスは、液体の状態から急速に冷やされたとき、原子がバラバラのまま動けなくなって固まったものです。その瞬間に「凍りついた液体の配置」がそのまま保存されるのです。
研究者のジョン・マウロ氏(ペンシルバニア州立大学)は、この性質を踏まえてガラスを次のように定義しています。「ガラスとは、短い時間スケールでは固体のように振る舞うが、液体状態に向かって連続的に緩和し続けている、非平衡・非結晶状態の物質である」と。
これが現在の科学における、最も正確なガラスの定義のひとつです。
液体でも固体でもなく、「アモルファス固体」という独自のカテゴリに属する。これがガラスの正体です。
第2章 ── 「ガラスが流れている」という都市伝説の真相
2-1. 大聖堂の窓ガラスが下だけ厚い、という話
「ガラスは液体」説の最大の根拠として挙げられるのが、「ヨーロッパの中世の大聖堂にある古いステンドグラスは、下の部分のほうが厚い。これはガラスが何百年もかけてゆっくり流れ落ちた証拠だ」という話です。
パリのサント=シャペル、ロンドンのウェストミンスター寺院、ケルン大聖堂……。確かに、これらの古い建物のステンドグラスを観察すると、下のほうが分厚くなっているものがあります。
この「ガラスが流れた証拠」という説明は、一見するととても説得力があります。
2-2. 計算で完全に否定された「流れるガラス」
しかし、科学者たちはこの説をとっくに否定しています。
ブラジルのサン・カルロス連邦大学の材料科学者エドガー・ザノット氏は1998年に発表した論文で、約350種類の中世ガラスの化学組成から粘度を計算し、ガラスが室温で目に見えるほど流れるには「宇宙の年齢(約138億年)よりも長い時間が必要」という結論を出しました。
さらに2017年から2018年にかけて、ペンシルバニア州立大学のジョン・マウロ氏らの研究チームは、ウェストミンスター寺院の13世紀の実際のガラスの化学組成を使ってより精密な計算を行いました。その結果は驚くべきものでした。
計算上、ガラスが流れる速度は10億年でたった約1ナノメートル(0.000000001メートル)。これは以前の計算より10の16乗倍(1京倍)も速い数値ではあるものの、依然として人間が観測できる変化が生じるまでに数十億年以上かかるという結論でした。
「この結果は、室温でガラスが流れるという長年の都市伝説が、今もなお単なる神話に過ぎないことを確認するものだ」と論文の著者たちは結論付けています。
では、なぜ大聖堂のガラスは下が厚いのか。答えは拍子抜けするくらいシンプルです。
2-3. 本当の理由は「製造技術の限界」
中世の職人たちは、現代のように均一な厚さのガラスを作る技術を持っていませんでした。当時のガラス製造では、どうしても厚みにムラが出てしまいました。
そこで職人たちは、ガラスを窓枠にはめ込む際、厚い部分を下にして取り付けました。なぜなら、その方が安定して見えるからです。見た目が安定しているし、重い部分が下にあれば落ちにくいという実用的な理由もありました。
何百年も後に人々がこの「下が厚いガラス」を見て、「ガラスが流れた!」と勘違いしてしまったのです。
物理学者のジョナサン・カッツ氏(ワシントン大学セントルイス校)はこう言っています。「もしカメラのレンズガラスが室温で流れるなら、10年後にはカメラのピントが合わなくなるはずだ」と。そんなことは起きていませんよね。
第3章 ── そもそも固体と液体の違いって何?
3-1. 教科書的な定義
小学校や中学校で習う固体・液体・気体の定義を思い出してみましょう。
固体は「形と体積が決まっている状態」。
液体は「体積は決まっているが、形は容器に合わせて変わる状態」。
気体は「形も体積も決まっていない状態」。
シンプルでわかりやすい定義です。でも、ガラスをこの定義に当てはめると困ったことになります。ガラスは確かに「形が決まっている」ので固体のように見えます。しかし原子レベルで見ると、「液体のような無秩序な構造」を持っています。
3-2. 原子・分子レベルで見た違い
より正確に言うと、固体と液体の違いは「原子・分子の自由度」にあります。
結晶性固体では、原子はほぼ固定された位置に存在し、ほとんど動けません。振動はしていますが、位置は変わりません。
液体では、原子・分子は互いに引き合いながらも自由に動き回ることができます。だから流れるのです。
そしてガラス(アモルファス固体)では、原子は液体のようにランダムな配置で存在しているものの、ほぼ動けない状態になっています。液体が急速に冷やされて、原子が「整列する暇もなく」固まってしまった状態です。
3-3. 「ガラス転移温度」という重要な概念
ガラスの話をするうえで欠かせない概念が「ガラス転移温度(Tg)」です。
ガラスが液体状態から冷やされていくとき、ある温度域を境に急激に粘度が上がり、流動性を失います。この温度域を「ガラス転移温度」と呼びます。
重要なのは、これが「結晶化」ではないという点です。通常の固体(結晶)になる際は、液体が凍って原子が整列します。しかしガラスでは、液体から急冷されることで原子が整列する前に動きが止まってしまいます。
この「中途半端に固まった」状態がガラスの本質であり、固体とも液体とも言い切れない理由のひとつです。
一般的な窓ガラス(ソーダライムガラス)のガラス転移温度は約550℃前後。それ以下の温度では、実用的な意味ではほぼ固体として振る舞います。
3-4. 「粘度」という視点で見ると
液体と固体の違いを「粘度」という観点から考えると、さらに面白いことがわかります。
粘度とは、流れにくさの度合いのこと。水の粘度は非常に低く、さらさら流れます。蜂蜜は粘度が高く、ゆっくり流れます。
室温での各物質のおおよその粘度(単位:Pa・s=パスカル秒)はこんな感じです。
- 水:約0.001 Pa・s
- 蜂蜜:約10 Pa・s
- ピッチ(コールタール):約2億 Pa・s
- 室温のガラス:10の18乗~10の21乗 Pa・s 以上
つまり、室温のガラスは蜂蜜の約10の20乗倍もの粘度を持っています。技術的には「極めて粘度の高い液体」とも言えなくはないですが、これはもはや実用的な意味でまったく「流れない」と言って差し支えありません。
第4章 ── 「固体と液体が曖昧」なものはガラスだけじゃない!
ガラスほど有名ではないけれど、固体と液体の「境界」に存在する物質は実は身の周りにたくさんあります。
4-1. 液晶(Liquid Crystal)
スマートフォンやテレビの画面に使われている「液晶」。その名前の通り、「液体」と「結晶(固体)」の性質を両方持つ不思議な状態の物質です。
液晶は液体のように流れることができます。しかし分子の配向(向き)には、結晶のような一定の秩序があります。光の進み方を制御できるのはこの秩序のおかげで、ディスプレイへの応用が可能になっています。
液晶は「流体だけど秩序がある」という、通常の液体とも固体とも違う状態です。物質の状態分類で「液晶相」という独立したカテゴリを持つほど、その特異性は科学的にも認められています。
石鹸水も、ある条件では液晶の一種として振る舞うことが知られています。
4-2. コロイド(Colloid)
牛乳、霧、マヨネーズ、墨汁、煙。これらはすべて「コロイド」と呼ばれる状態の物質です。
コロイドとは、ある物質の微小な粒子(1ナノメートルから1マイクロメートルほど)が、別の物質の中に均一に分散した状態のことです。
牛乳を例にとると、脂肪とタンパク質の微粒子が水の中に分散しています。これは液体のように見えますが、完全な液体(均一な溶液)ではありません。
コロイドは「固体でも液体でも気体でもない」という意味で、物質の状態の境界線上に存在しています。
4-3. ゾルとゲル
寒天やゼラチン、豆腐を思い浮かべてみてください。これらは「ゲル」と呼ばれる状態の物質です。
「ゾル」は液体のようにさらさらしたコロイドで、「ゲル」はゼリー状に固まったコロイドです。温めると液体のように流れ、冷やすと固まる。あの不思議な性質は、まさに「固体と液体の間」を行き来しているからです。
面白いのは、生命体の中にも似たような仕組みがあることです。細胞の内部には「細胞質」という液体が詰まっていますが、この細胞質はゾルとゲルの中間的な状態を持ち、様々な生命活動を支えています。
4-4. 非ニュートン流体
「ダイラタント流体」「チキソトロピー流体」などと呼ばれる非ニュートン流体も、固体と液体の中間的な性質を持ちます。
片栗粉と水を混ぜたもの(水溶き片栗粉)は有名な例です。ゆっくり触れると液体のように流れますが、素早く叩くと固体のように抵抗します。プールに入れれば走れますが、立ち止まると沈みます。
ケチャップも同様です。瓶を逆さにしただけではなかなか出てきませんが(ゲル状)、瓶を叩くと急に流れ出します(液化)。これは「剪断力(shear force)」を加えると粘度が下がるチキソトロピー流体の性質によるものです。
これらは「力の加え方によって固体にも液体にもなる」物質であり、固体・液体という二分法では到底分類できません。
4-5. ピッチドロップ実験
少し変わった例として、「ピッチドロップ実験」をご紹介しましょう。
これは1927年からオーストラリアのクイーンズランド大学で続けられている、世界で最も長く続く実験のひとつです。
コールタールを蒸留して得られる「ピッチ」というとても粘度の高い物質を漏斗(ろうと)の中に入れて、室温で放置し続けています。
ピッチは見た目では完全に固体のように見えます。ハンマーで叩くと割れます。しかし実は液体であり、ゆっくりゆっくりと流れています。このペースで液滴が落ちる間隔は、約8〜13年に一度。2024年時点で、約10滴しか落ちていません。
これほどゆっくりでも、確かに「流れている」のです。ピッチは明らかに液体に分類されますが、その流れ方はほとんど固体と区別がつきません。物質の「状態」というのが連続的なスペクトルであることを、この実験は雄弁に物語っています。
第5章 ── 水が凍ると固体? 実はこれも奥が深い
「固体と液体の違い」を考えるうえで、最も身近な例のひとつが水と氷です。
5-1. 氷は固体なのか?
水が0℃以下になると氷になる。これは誰でも知っています。氷は固体です。でも、そこには意外な複雑さが隠れています。
まず、氷には「何種類もある」という事実。Wikipediaの「物質の状態(State of matter)」の記事によれば、水は複数の異なる固体状態(アイス多形)を持ちます。私たちが日常的に目にする氷は「氷Ih」と呼ばれる六方晶系の結晶ですが、高圧・低温条件下では「氷II」「氷III」「氷IV」など、現在までに20種類以上の異なる結晶構造の氷が知られています。
同じ「固体の水」でも、その内部の原子の配列は条件によってまったく異なるのです。
5-2. 過冷却水という不思議な状態
さらに興味深いのは「過冷却水(supercooled water)」の存在です。
通常、水は0℃で氷になります。しかし、非常に清純な水をゆっくりと冷やしていくと、0℃を下回っても液体のままでいることがあります。これを過冷却水といいます。実験室では−40℃近くまで液体の水を保つことができます。
過冷却水は液体として存在していますが、非常に不安定な状態です。ちょっとした刺激(振動、異物の混入など)で瞬時に氷になります。
この「0℃以下なのに液体」という状態は、「温度だけで固体・液体を決めることはできない」という重要な事実を示しています。
5-3. 超臨界流体
水をもっと極端な条件に置くと、さらに不思議なことが起きます。温度と圧力を一定の臨界点(水の場合は約374℃、約218気圧)以上に上げると、水は「超臨界流体(supercritical fluid)」という状態になります。
超臨界流体は液体とも気体とも区別がつかない状態です。液体のように密度が高く、気体のように容器全体に広がろうとする性質を同時に持ちます。固体・液体・気体の三択では分類できません。
超臨界水はコーヒーカフェインの抽出、クリーニング、プラスチックのリサイクルなどに実際に利用されています。
第6章 ── 「境界が曖昧」なものをもっとご紹介! 物質だけじゃない曖昧さの世界
固体と液体の境界の曖昧さは、物質の世界だけにとどまりません。自然界には、私たちが「これは〇〇だ!」と決めつけているものが、実はグラデーションの中にある、という事例がたくさんあります。
6-1. 生命と非生命の境界:ウイルス
「ウイルスは生き物か?」という問いは、生物学における長年の議論のひとつです。
ウイルスはDNAやRNAという遺伝情報を持っています(生命の特徴)。増殖します(生命の特徴)。しかし、自分だけでは代謝(エネルギーをつくること)ができません。宿主の細胞に寄生して初めて増殖できます。
生命の定義として「細胞を持つこと」「自律的な代謝を行うこと」などが挙げられますが、ウイルスはそのどちらも満たしません。だからウイルスは「生物と無生物の中間」とも言われます。
コロナウイルスが猛威を振るったとき、多くの人が「ウイルスを殺す」という表現を使いました。でも厳密には、「殺す」という概念は生き物に使う言葉です。生き物かどうかすら曖昧なウイルスに対して、私たちは「殺す」という言葉を使っていたわけです。
6-2. 光:粒子でもあり波でもある
「光は粒子か、それとも波か?」
これは物理学史上、もっとも激しく議論された問いのひとつです。ニュートンは「光は粒子だ」と主張し、ホイヘンスは「光は波だ」と主張しました。
現代物理学の答えは「どちらでもある(波と粒子の二重性)」というものです。光は観測方法によって粒子のように振る舞ったり、波のように振る舞ったりします。
量子力学の世界では、電子やその他の素粒子も同様に、波と粒子の二重性を持っています。「これは粒子か? 波か?」という二択では答えが出ないのが、自然界の真実なのです。
6-3. 色の連続性:虹には何色ある?
「虹は何色ですか?」と聞かれたら、日本人は多くの場合「7色」と答えます。でもアメリカでは「6色」と教える文化があり、アフリカのある地域では「2色」と認識する文化もあります。
実際には、虹の色は赤から紫へと連続的に変化するグラデーションであって、明確な境界線などどこにもありません。「7色」という区切りは、科学的な事実ではなく、文化的な約束事なのです。
物理的な「光の波長の連続体」を、人間が恣意的に分割しているに過ぎません。
6-4. 種の境界:生物の種はどこで区切る?
生物の「種(しゅ)」の定義も、実は曖昧です。「同じ種とは、互いに交配して繁殖能力のある子孫を残せる生物の集団」というのが一般的な定義ですが、これにも多くの例外があります。
たとえばオオカミと犬は異なる種ですが、交配すると子どもが生まれます。タイリクオオカミとコヨーテも同様です。リングスピーシーズ(輪状種)と呼ばれる現象では、地理的に隣接する集団Aと集団Bは交配できるが、端と端の集団Aと集団Cは交配できない、という状況が起きます。
「どこから別の種か」という境界線は、自然界には存在せず、人間が分類の都合上引いている線に過ぎません。
第7章 ── 「曖昧さ」は悪いことじゃない! むしろ豊かさの源
ここまで読んできて、「なんだかすっきりしない」と感じた方もいるかもしれません。ガラスは固体でも液体でもない。生命と非生命の境界は曖昧。光は波でも粒子でもある……。
でも、この「曖昧さ」こそが、科学と世界の豊かさの源ではないでしょうか。
7-1. 曖昧さが技術を生む
ガラスの「固体でも液体でもない」という性質は、現代テクノロジーを支えています。
スマートフォンの画面のゴリラガラスは、この「アモルファス固体」の性質を精密に制御することで、薄くて強いガラスを実現しています。液晶ディスプレイは「液体でも固体でもある」液晶の性質を利用しています。
もし科学者が「固体か液体かどちらかに分類しなければならない」という固定観念に縛られていたら、これらの技術は生まれなかったかもしれません。
7-2. 曖昧さが発見を生む
科学の歴史を振り返ると、「カテゴリの境界」にある物質や現象が、新しい発見のきっかけになってきました。
量子力学は、光が「波でも粒子でもある」という不思議な事実から生まれました。材料科学の多くの革新は、「固体と液体の中間にある物質」の研究から生まれています。
曖昧さは、私たちの「知識の限界」を示す赤信号ではなく、「まだ知られていない豊かな世界が広がっている」ことを示す青信号です。
7-3. 「白黒つける」ことの危うさ
ガラスの例は、私たちの日常の思考にも示唆を与えてくれます。
人は何かを判断するとき、「白か黒か」「固体か液体か」「正しいか間違いか」と二分法で考えたがります。でも実際の世界は多くの場合、連続的なグラデーションの中にあります。
「固体と液体の間にアモルファス固体がある」ように、人間関係も、社会の問題も、文化の違いも、「どちらか一方」に単純化できない豊かな中間領域を持っています。
「はっきりしない」ことに居心地の悪さを感じるのは人間の自然な反応ですが、その曖昧さを受け入れ、丁寧に向き合うことで、より深い理解が生まれることがあります。
おわりに ── 世界は「曖昧さ」でできている
「ガラスって液体なの?」という最初の問いに戻りましょう。
科学的な答えは「ノー。ガラスは液体ではなく、アモルファス固体という第三の状態の物質だ」というものです。
でも、この旅を通じて気づいていただけたと思います。
世界には、人間が決めた分類に綺麗に収まらないものが、あちらこちらに存在しています。
- 固体でも液体でもない「アモルファス固体」のガラス
- 液体でも固体でもある「液晶」
- 生命でも無生命でもある「ウイルス」
- 粒子でも波でもある「光」
- 連続したグラデーションを人間が恣意的に分割した「虹の色」や「生物の種」
これらはすべて、自然界が私たちの言語や概念よりも豊かで複雑であることの証拠です。
私たちの言葉や分類は、世界を理解するための「地図」に過ぎません。地図は便利ですが、地図そのものが「地形」ではないように、私たちの分類は世界そのものではありません。
「ガラスは固体? 液体?」という問いへのベストな答えは、もしかしたらこうかもしれません。
「ガラスはガラスであり、固体でも液体でもなく、でもどちらの性質も持っている。そしてそれで十分だ」と。
世界の曖昧さを楽しみながら、「なんでだろう?」と首をかしげる好奇心を大切にしてください。その問いが、次の大発見につながっているかもしれないのですから。
まとめ
- ガラスは液体でも固体でもなく、アモルファス固体(非晶質固体) という独自の状態の物質
- 原子の配列が結晶のように規則的でなく、液体に近いランダムな構造を持つが、室温では固体のように振る舞う
- 「大聖堂のガラスが下だけ厚いのは流れた証拠」という話は都市伝説。計算上、目に見える変化が起きるまでに数十億年以上かかることが証明されている
- 固体と液体の境界は絶対的なものではなく、液晶・コロイド・非ニュートン流体・ピッチなど「その間」に存在する物質が多数ある
- 水も氷も、状態は温度だけで決まるわけではなく(過冷却水・超臨界流体など)、多くの中間状態が存在する
- 生命と非生命(ウイルス)、光の波と粒子、虹の色など、自然界の「分類の境界」は多くの場合曖昧なグラデーションである
- 「曖昧さ」は科学の限界ではなく、豊かな発見の起点。二分法だけでは世界の豊かさを取りこぼしてしまう
参考文献・参考情報源
- Scientific American “Fact or Fiction?: Glass Is a (Supercooled) Liquid” (2024)
- Zanotto, E.D. “Do Cathedral Glasses Flow?” American Journal of Physics, Vol.66, No.5, 1998
- Mauro, J.C. et al. “Viscous flow of medieval cathedral glass” Journal of the American Ceramic Society, 2018
- Live Science “Is glass a liquid or a solid?” (2023)
- Ediger, M.D. University of Wisconsin-Madison(マーク・エディガー教授のコメント)
- Wikipedia “State of matter” (2026年6月時点)
- Science News Explores “Explainer: What are the different states of matter?” (2023)
- phys.org “Solid or liquid? Researcher proposes a new definition of glass” (2019)


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