掌編ホラー小説「夕暮れの問いかけ」
第一章 放課後の影
六月の夕暮れ時、小学五年生の祐太は塾からの帰り道を急いでいた。商店街を抜けて住宅地に入ると、街灯はまばらになり、辺りは薄暗く静まり返っている。
「もう少しで家だ」
そう呟いた時、前方から人影が近づいてきた。女性らしい長身の影が、街灯の下でぼんやりと浮かび上がる。顔の下半分を覆う白いマスク、長いトレンチコート。女はゆっくりと祐太に向かって歩いてくる。
「こんばんは、坊や」
女の声は妙に甘く、不自然に響いた。祐太の足が自然と止まる。
「私……きれい？」
女がそう問いかけながら、片手をマスクにかけた。祐太の心臓が激しく鳴り始める。母親から聞いた話が頭をよぎった。口裂け女の噂。答えてはいけない。逃げなければいけない。
「あ、あの……」
祐太が震え声で何かを言おうとした瞬間、女がマスクをずらした。街灯の薄明かりが、耳まで裂けた大きな口を照らし出す。血のような赤い唇が三日月のように歪んでいる。
「これでも……きれい？」
女の声が甲高く響く。祐太の頭に、友達が教えてくれた呪文が浮かんだ。
「ポ、ポマード！ポマード！ポマード！」
三回叫ぶと、女の顔が苦痛に歪んだ。両手で顔を覆い、よろけるように後ずさりする。
「うぐ……あああ……」
女の苦しむ声が夜の静寂を破る。その隙に祐太は全力で走り出した。振り返ることはしなかった。ただひたすら家に向かって駆け抜けた。
翌日、祐太は友達に昨夜の出来事を話した。しかし、誰も信じてくれなかった。ただの見間違いだと笑われた。それでも祐太は知っている。あの女は確かに存在していたのだと。
第二章 真実の断片
それから一週間後、新聞の社会面に小さな記事が載った。
『不審女性、銃刀法違反で逮捕 「口裂け女の格好」で包丁所持』
記事によると、25歳の女性が口元にテープを貼り、包丁を持って住宅街を徘徊していたという。動機は「話題になりたかった」とのことだった。
祐太はその記事を読みながら思った。あの夜出会った女は、この逮捕された女性だったのだろうか。それとも……。
真実は闇の中に消えていった。しかし、口裂け女の噂は消えることなく、全国の子どもたちの間で語り継がれていくのだった。
口裂け女の歴史と由来
都市伝説としての誕生
口裂け女の都市伝説は、1978年の暮れに岐阜県で噂が起こり、マスコミに初めて登場したのは1979年1月26日の岐阜日日新聞とされています。具体的には、1978年の暮れ、岐阜県の八百津町で農業を営む高齢の女性が、口が耳まで裂けた女性を庭先で目撃したことが始まりだとされています。
口裂け女の話が広まった1970年代後半は日本の経済構造が変わり、都市的な文化生活を営むための均一なインフラ―テレビ、車、電話など―が全国に整った時期でした。この社会的背景が、口裂け女の都市伝説が全国的に拡散する土壌を作り出したのです。
社会現象への発展
1979年6月21日、姫路市の25歳の女がいたずらで口裂け女の格好をし、包丁を持ってうろつき、銃刀法違反容疑で逮捕された事例もあります。これは都市伝説が現実の社会問題にまで発展した象徴的な出来事でした。
興味深いことに、1979年8月、それまで全国を席巻していたこの噂は急速に沈静化しました。これは夏休みに入り、子供達の情報交換＝口コミが途絶えたためとされています。この現象は、口裂け女の都市伝説が主に学校という場での子どもたちのコミュニケーションを通じて広がっていたことを物語っています。
口裂け女の特徴と設定
基本的な設定
口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に「私、綺麗？」と訊ねてくるのが基本的なパターンです。口裂け女の設定のバリエーションはとても豊富で、100ｍを3秒または6秒台で走ることができる、鎌を持っている、スポーツカーに乗っている、まずは夢の中に出てくるなど、身体能力や持ち物、登場の仕方にもさまざまなパターンが存在します。
対処法の伝承
特に有名なのが、「ポマード」と3回唱えるというものです。この対処法は全国の子どもたちに広く知られ、恐怖と同時に安心感を与える重要な要素となりました。その他にも「べっこう飴」や特定の呪文が効果的とされるバリエーションも存在していました。
都市伝説という概念の定着
「都市伝説」という言葉を日本に紹介したのは、1988年日本で翻訳刊行された米民俗学者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』（81年）でした。口裂け女はまさに日本における都市伝説の代表格として、現代民俗学の研究対象としても注目を集めています。
現代への影響と展開
口裂け女の都市伝説は日本国内にとどまらず、海外にも伝播しました。2004年には韓国でも流行し、中華圏でも有名になるなど、国境を越えた現象となりました。
現代においても、口裂け女は映画、小説、マンガ、ゲームなど様々なメディアで取り上げられ続けています。恐怖の対象としてだけでなく、昭和という時代の象徴として、そして現代日本の都市伝説文化の出発点として、重要な文化的意味を持っているのです。
まとめ
口裂け女は単なる怖い話を超えて、1970年代後半の日本社会の変化を映し出す鏡のような存在でした。都市化の進展、メディアの発達、子どもたちの生活環境の変化など、様々な社会的要因が複合的に作用して生まれた現代の妖怪と言えるでしょう。
今なお語り継がれる口裂け女の物語は、恐怖という原始的な感情を通じて、現代社会への不安や疑問を表現した、日本独自の都市伝説の傑作なのです。
本記事は都市伝説研究の資料をもとに構成しており、フィクション部分は創作です。
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