思い出してみてください。
高校生までのあなたは、1日のうちに国語、数学、英語、理科、社会など、平均して6種類ほどの教科を毎日切り替えながら学んでいました。週の時間割まで広げれば、そこに保健体育、音楽や美術などの芸術科目、家庭科、情報、道徳やホームルームまで加わり、実際に触れていた学習ジャンルは10種類を超えていたはずです。
部活動まで含めれば、勉強とスポーツ、勉強と音楽、勉強と美術を同じ1日、同じ1週間の中で当たり前のようにこなしていたことになります。
それなのに、多くの人は社会人になったとたん、頭の中身は「仕事」一色になってしまいます。学生時代にあれだけ多方向に脳を使っていたのに、大人になると急に脳の使い道が1つに絞られてしまうのはなぜでしょうか。
結論から言うと、大人になっても脳の学習能力そのものは大きく落ちていません。海外の脳科学や心理学の研究を見ていくと、私たちの脳は何歳になっても新しいことを吸収し続ける力を持っていることがわかります。しかも、高校時代の「あちこちの教科を行き来する時間割」こそが、脳科学的にもっとも効率のよい学び方だったという興味深い研究結果もあるのです。
この記事では、次のような流れで「大人と学び」について掘り下げていきます。
- 高校までの自分がどれだけ多くの教科を学んでいたかを振り返る
- 大人になると学ばなくなる理由をデータで確認する
- 大人の脳がまだまだ伸びるという海外の脳科学研究を紹介する
- 「あちこち手を出す学び方」が実は科学的に正しかったという研究を紹介する
- 世界の成功者たちの多様な学びの共通点を見る
- 仕事をしながら学びや趣味の時間を確保する具体的な方法を考える
読み終わるころには、「もう一度何かを学んでみようかな」と思えるはずです。
第1章 思い出してみよう、あなたは”マルチ教科プレイヤー”だった
まずは高校までの1日を思い出してみましょう。
朝は国語の現代文からスタートし、2時間目は数学、3時間目は英語のリスニング、4時間目は理科の実験、午後は世界史や日本史などの社会科、そして最後は体育で汗を流す。ざっと挙げるだけでも、1日のうちに6種類前後のまったく異なる分野を行き来していたことになります。
これを1週間単位で見ると、さらに幅は広がります。
- 主要教科(国語・数学・英語・理科・社会)
- 保健体育
- 音楽または美術などの芸術科目
- 家庭科
- 情報
- 道徳やホームルーム、総合的な学習の時間
こうして並べてみると、1週間のうちに触れていた学習ジャンルは、軽く10種類を超えていたことになります。しかも、それぞれの教科で使う脳の働きはまったく異なります。数学は論理的な処理、英語は言語の運用、美術は空間認知や感性、体育は身体運動というように、まるでジャンルの異なる種目を毎日はしごしているようなものです。
部活動を含めれば、勉強と音楽、勉強とスポーツ、勉強と美術というように、学業以外の学びまで同時並行でこなしていた人がほとんどでしょう。
つまり、高校までの私たちは、知らず知らずのうちに「複数分野を同時に鍛える生活」を送っていたのです。これは決して特別なことではなく、当時のあなたにとってはごく普通の日常でした。この「普通さ」にこそ、大人になった今見直す価値があります。
第2章 なぜ大人になると「仕事だけ」になってしまうのか
ところが社会人になると、状況は一変します。
日本総合研究所が国内の会社員3,000人を対象に行った調査では、1週間の学習時間が0時間と回答した人が56.4%にのぼりました。半数以上の社会人が、将来のための学びに一切時間を使っていないという結果です。しかも学習時間の平均値は20代から50代にかけて右肩下がりに減っていき、特に50代での落ち込みが大きいことも明らかになっています。
学生時代とのギャップを表にすると、次のようになります。
| 項目 | 高校生時代 | 社会人(平均的な傾向) |
|---|---|---|
| 1日に触れる学習ジャンルの数 | 6教科前後 | 仕事関連の1ジャンルのみになりがち |
| 1週間に触れる学習ジャンルの数 | 10種類以上(実技・部活含む) | 増える機会が少ない |
| 週の学習時間 | 授業・部活で数十時間 | 0時間と答えた人が56.4% |
| 学びの動機 | 試験や受験という明確な目標 | 目標を見失いやすい |
学生時代はあれほど多様な教科を学んでいたのに、なぜ大人になるとここまで学びから遠ざかってしまうのでしょうか。理由はいくつか考えられます。
理由1 時間そのものが仕事に奪われる
フルタイムで働くと、通勤や残業も含めて1日の大半が仕事関連の時間で埋まってしまいます。
理由2 「勉強はテストのためのもの」という思い込み
学生時代の学びは、テストや受験という明確なゴールがあったからこそ続けられた面があります。大人になってゴールが見えなくなると、学ぶ動機そのものを見失いがちです。
理由3 疲労と習慣の壁
仕事で脳を使い切ったと感じると、家に帰ってからは休息を優先してしまうのも自然な反応です。
けれども、この「大人は学ばなくなる」という状態は、脳の能力の問題ではなく、環境と習慣の問題である可能性が高いのです。次の章では、その根拠となる海外の脳科学研究を見ていきます。
第3章 大人の脳はまだまだ伸びる 海外の脳科学が示す事実
かつて神経科学の世界では、「脳の発達は子どものうちに終わり、大人になったらほとんど変化しない」という考え方が主流でした。
しかしこの通説は、この数十年の研究によって大きく覆されています。2014年に学術誌Neural Plasticityに掲載されたレビュー論文では、成人の脳がストレスやホルモン、神経伝達物質、学習経験といったさまざまな要因によって、構造や機能を変化させ続けていることが示されています。神経細胞どうしのつながり方が変わったり、新しい神経細胞が生まれたりする現象は、決して子どもだけのものではないというのです。
アメリカの大学で行われた研究のまとめでも、大人になってから新しく楽器を習い始めた人たちの脳をMRIで観察したところ、神経細胞の枝にあたる樹状突起がより密になっていることが確認されています。繰り返し学習することでシナプスのつながりが強化され、新しい結びつきまで作られていたのです。研究者たちは、こうした変化を後押しする要因として、社会的なつながりや語学学習、有酸素運動、質の良い睡眠なども挙げています。
つまり、大人の脳は決して「固まった状態」ではなく、使い方次第でいくらでも変化する余地を残しています。学生時代のように6教科を同時にこなす体力的な余裕はなくても、脳そのものの学習能力という意味では、大人になっても十分すぎるほどの伸びしろが残っているのです。
第4章 実は「あちこち手を出す」ことこそ科学的に正しい学び方だった
ここでもう一つ、興味深い研究を紹介します。
学生時代の時間割は、1時間ごとに数学、英語、理科と、まったく違う科目に次々と切り替わっていきます。実はこの「切り替えながら学ぶ」というスタイルこそ、認知心理学の世界で高く評価されている学習法と一致しています。
心理学ではこれを「インターリーブ学習」と呼びます。1つの教科をまとめて集中的に学ぶ「ブロック学習」に対して、複数の教科やテーマを交互に行き来しながら学ぶスタイルのことです。
アメリカの心理学者ダグ・ロラーとケリー・テイラーが2007年に行った実験では、立体図形の体積を求める公式を学ぶ際、インターリーブ形式で学んだグループは、1週間後のテストで63%の正答率を記録しました。一方、1種類の公式ずつ集中的に学んだブロック学習のグループは、同じテストで20%にとどまったといいます。
同じくカリフォルニア大学ロサンゼルス校のロバート・ビョークらが行った実験では、12人の画家の作品をインターリーブ形式で見せたグループのほうが、初めて見る作品でも画家のスタイルを正確に識別できる割合が高くなりました。参加者の78%が、まとめて見るよりも交互に見たほうが学習成果が高かったと報告されています。
ビョークはこの現象を「望ましい困難」と呼んでいます。インターリーブ学習は学習の最中には「なかなか身につかない」ように感じられ、進み方も遅く感じますが、長期的な記憶への定着という意味ではブロック学習をはるかに上回るというのです。中学校の教室で行われた別の実践研究でも、インターリーブ形式の宿題に取り組んだ生徒は、1日後のテストの点数がほぼ2倍になったことが報告されています。
つまり、高校までの時間割のように、複数の教科を短いスパンで行き来しながら学ぶスタイルは、脳にとって決して非効率なものではなく、むしろ長期記憶を作るうえで理にかなった学び方だったということです。私たちは意識しないまま、科学的に優れた学習環境の中で育っていたことになります。
第5章 世界の成功者たちも実は”多方向型”だった
学び続けることの価値は、記憶の定着だけにとどまりません。
科学ジャーナリストのデイビッド・エプスタインは、著書『RANGE(レンジ)』の中で、スポーツ、音楽、科学など幅広い分野のトップパフォーマーを調査し、多くの分野において早期から一つに絞り込んだ専門家よりも、幅広い経験を積んだ”ジェネラリスト”のほうが結果的に高いパフォーマンスを発揮していると指摘しています。
象徴的な例として挙げられるのが、テニス選手ロジャー・フェデラーです。彼は子どもの頃、バスケットボールやハンドボール、レスリングなど複数のスポーツを経験したうえでテニスに専念し、世界トップの選手になりました。幼少期から一つの競技に絞り込んだ選手だけが成功するわけではないことを、彼のキャリアは物語っています。
複数分野に触れる経験は、キャリアの幅にも直結します。ビジネスSNSのLinkedInが50万人規模の会員データをもとに行った分析では、将来役員クラスに昇進した人ほど、社内でより多くの異なる職務を経験していたという傾向が確認されています。「一つの道を極める」ことだけが正解ではないということです。
多方向に学び続けることは、脳の老化対策としても注目されています。2024年に医学誌The Lancetに掲載された認知症に関する国際委員会の報告書では、生涯を通じた認知的な刺激の不足が、認知症の発症リスクを高める修正可能な要因の一つとして挙げられました。委員会が特定した14の要因全体で、世界の認知症のおよそ45%に関与していると推計されています。
さらに2023年にイギリスで行われた調査では、中高年になってから成人向けの学習講座に参加していた人ほど、5年後の知的能力の低下が緩やかだったことが報告されています。2025年に発表されたアメリカの大規模調査でも、高齢になってからの学びが、その後の認知機能の維持と関連していたという結果が示されました。しかも、若いころの学歴に関わらず、後から学び始めた人も同じように効果を得られていたというのが興味深いところです。
つまり、大人になってからでも、複数の分野に興味を持ち続けることは、キャリアの面でも脳の健康の面でも、決して無駄にはならないということです。
なお、ノーベル賞受賞者と趣味の多様性についての詳しい研究は、当ブログの別記事「多趣味な人はなぜ強いのか?ノーベル賞受賞者に共通する”意外な趣味習慣”と科学的メリット」でも詳しく紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。
第6章 仕事と学び・趣味を両立させる時間の使い方
ここまでの内容を読んで、「言いたいことはわかるけれど、そんな時間はない」と感じた方も多いかもしれません。
しかし、実際のデータを見てみると、多くの人にはすでに”使える時間”が存在しています。
アメリカ労働統計局が実施している「American Time Use Survey」の2019年の調査結果によると、成人の余暇時間は1日平均で男性が5.53時間、女性が4.86時間にのぼります。そのうち最も多くの時間が使われているのがテレビ視聴で、男性は3.00時間、女性は2.64時間をテレビの前で過ごしているという結果でした。
つまり「時間がない」のではなく、「その時間の使い道が学びに向いていない」だけというケースが少なくないのです。
とはいえ、いきなり高校時代のように何教科も同時に学ぶのは現実的ではありません。そこで、無理なく取り入れられる時間の使い方をいくつか紹介します。
方法1 スキマ時間をインターリーブする
通勤中は語学アプリ、昼休みは読書、寝る前は興味のある動画講座というように、短い時間の中でジャンルの異なる学びを少しずつ挟み込みます。第4章で紹介したインターリーブ学習の効果を、日常生活に応用する形です。
方法2 テレビやSNSの時間の一部を学びに置き換える
ATUSのデータが示すとおり、多くの人にとってテレビや動画視聴は最大の余暇活動です。そのうちの30分だけでも学びの時間に置き換えるだけで、週に3時間以上の学習時間が生まれます。
方法3 自分だけの”週間時間割”を作る
月曜は語学、水曜は読書、金曜は運動、日曜は好きな分野の勉強というように、学生時代の時間割のように曜日ごとにジャンルを割り振ってみましょう。1つのことに絞り込む必要はありません。
方法4 「5分学習」を積み重ねる
まとまった時間を確保できなくても、5分だけ単語帳を開く、5分だけ気になるニュースを読むといった小さな行動を積み重ねるだけで、脳への刺激は十分に生まれます。
大切なのは、完璧な時間割を作ることではなく、複数の分野に少しずつ触れる習慣を、無理のない範囲で生活に組み込んでいくことです。
よくある質問
- 大人になってからでも本当に新しいことを覚えられますか。
-
はい。第3章で紹介したとおり、脳の可塑性は年齢を重ねても失われないことが複数の研究で確認されています。子どもの頃より習得のスピードは緩やかになる場合がありますが、学習によって脳の構造そのものが変化する力は大人になっても残っています。
- 何から始めればいいかわかりません。
-
第4章のインターリーブ学習の考え方を借りるなら、1つに絞り込まず、興味のある分野を2つか3つ、少しずつ並行して触れてみるのがおすすめです。学生時代の時間割のように、曜日でジャンルを分けるだけでも始めやすくなります。
- 忙しくて時間が作れません。
-
第6章で紹介したように、多くの人にはテレビや動画視聴などの余暇時間が1日数時間存在しています。その一部を5分単位で学びに置き換えることから始めてみましょう。
まとめ
ここまで、6つの視点から「大人と学び」について見てきました。
高校までの私たちは、1日に6種類前後、1週間では10種類を超える学びに自然と触れていました。それなのに大人になると、多くの人が学びから離れてしまいます。日本の調査でも、社会人の半数以上が週の学習時間0時間と答えているのが現実です。
けれども、海外の脳科学研究が示すとおり、大人の脳は決して成長を止めているわけではありません。学び方についても、高校時代の時間割のように複数の分野を行き来する「インターリーブ学習」こそが、長期的な記憶の定着において優れていることが、複数の実験で確認されています。
世界の成功者たちの多くが幅広い分野を経験してきたことや、生涯にわたる学びが脳の健康を守ることも、海外の研究が繰り返し示してきた事実です。
そして何より、多くの人にはすでに”使える時間”が眠っています。テレビや動画視聴に使っている時間のほんの一部を、学びや趣味に振り向けるだけでも、生活は少しずつ変わっていくはずです。
高校まで当たり前にできていたことは、大人になった今も、形を変えれば十分に取り戻せます。難しく考える必要はありません。今日から5分だけ、何か新しいことに触れてみることから始めてみませんか。
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参考文献・参照元
- Adult neuroplasticity, more than 40 years of research. Neural Plasticity, 2014.(PubMed収録)
- Neuroplasticity in the Adult Brain, Mechanisms and Lifelong Adaptation. University of Massachusetts Honors Research Poster.
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- Epstein, D. (2019). Range, Why Generalists Triumph in a Specialized World. Riverhead Books.
- Livingston, G. et al. (2024). Dementia prevention, intervention, and care, 2024 report of the Lancet Standing Commission. The Lancet.
- U.S. Bureau of Labor Statistics. American Time Use Survey, 2019 Results.
- 株式会社日本総合研究所「社会人のリスキリングに関する実態調査」
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